『トアルハルノヒ』に運命を感じたので是非聴いてほしい。
《ロックバンドなんてもんを やっていてよかった》
この一言が、野田洋次郎の、今のRADWIMPSの全てなんだと思う。
デビュー10周年を迎えて、訪れたバンド存続の危機。
長年共に音楽を創りあげてきたdr.山口智の活動休止。
それでもRADWIMPSを続けていくことを選んだ彼らの本音が、この『トアルハルノヒ』そのものだ。
私がRADWIMPSを聴くようになったのは、14の春。
偶然にも、歌詞に出てくる少女と同じだった。
当時憧れだった中学の先輩が、RADWIMPSが好きだと言っていて、聴くようになった。
きっかけは「好きな人の好きなバンド」だったけれど、この出会いは私にとってそれだけのものじゃなくなっていた。
14歳が聴いた『25個目の染色体』と『ふたりごと』は、衝撃的だった。
命を懸けて人を愛するってことを教えられたような気がした。
きっと、少女もまた私と同じように彼らと出会ったのだろう。
《「声」だけの幼馴染》は他の誰よりも親友だった。
想いを語り合い、時に励まされ、時には喧嘩もしながら、一緒に時を過ごしてきたのだ。
洋次郎が歌を書き続けて、RADWIMPSが音楽を奏で続けて十余年。
同じところをぐるぐる回るように、自分たちがしていることって何なのか
考える日々があったのかもしれない。いや、きっとあったんだと思う。
音楽って、目に見えないものだから。
音楽なんかなくたって、人は生きていけるから。
形のない不確かなものを、大切な仲間と作り続けることを信じてきたのに、
それができなくなるかもしれないって気づいたら、自分がしてきた事って何なんだろう、って動けなくなってしまうと思う。私ならそう思う。
それでもこうして曲を書いて、音楽を続けて、だからこそ見えたものがある。
私が初めてRADWIMPSを観に行った『青とメメメ』。
偶然にも21(の秋だけれど)に、私たちは初めましてを迎えた。
小学生や社会人、家族連れまで(ちなみに『G行為』の時は子供の耳を塞がせてた)色んな人がこのライブに足を運んでいた。
彼ら一人ひとりに、少女と同じような出会ってからの物語があったのだろう。
RADWIMPSのライブは、「ありがとう」と「愛」に包まれている。
14のハルは、誰かが書きなぐった夢や醜い本音を拾い集め大切に育て上げた。
名前も知らない「声」だけの幼馴染は、21のハルになって初めて出会った。
「ありがとう」ただそれだけを抱えて。
人それぞれ、出会ったハルは違うけれど、あなたにしかない物語がある。
『トアルハルノヒ』は、そんなことを 教えてくれる力がある。
あなたのハルは、いつですか?